理事長あいさつ



2021年4月
仁科記念財団理事長 小林誠

仁科記念財団は1955年に創設されました。2011 年4月1日には、新しい公益法人制度のもとで認定を受けた公益財団法人となり、以来新たな歩みを進めております。その定款には財団の目的を「故仁科芳雄博士のわが国及び世界の学術文化に対する功績を記念して、原子物理学及びその応用を中心とする科学技術の振興と学術文化の交流を図り、もってわが国の学術及び国民生活の発展、ひいては世界文化の進歩に寄与すること」と謳っております。この目的を達成するために、仁科記念賞·仁科アジア賞の授与、仁科記念講演会の開催、仁科記念室の運営、出版物の刊行などを中心的な事業と位置づけて実施しております。

仁科記念賞は、1955年度の第1回から2020年度の第66回までに193名の方に差し上げ、原子物理学の分野におけるわが国の代表的な学術賞としての地位を確立しているものと思います。2015年には,1999年度の仁科記念賞受賞者であります梶田隆章博士がノーベル物理学賞を受賞されました。前年の中村修二博士(1996年仁科記念賞受賞)に続いての受賞で、仁科記念賞受賞者からのノーベル物理学賞受賞者は6名になりました。また2016年末には,2005年度の仁科記念賞受賞者森田浩介博士を中心とするグループが提案した113番元素「ニホニウム Nh」が認められ,日本で発見された元素が初めて周期表に載りました。新元素の発見は,仁科博士が93番元素(ネプツニウム)の発見にあと一歩のところまで迫ったという歴史もあり、仁科記念財団にとりましては記念すべき出来事であります。

また毎年開催しております仁科記念講演会も多くの方から親しまれ、その内容を記録した出版物も好評を得ております。さらに仁科先生の残された多くの資料の整理公開も財団の任務でありますが、その一環として、元常務理事の故中根良平先生をはじめとする編者の皆さまの努力の結実であります「仁科芳雄往復書簡集」全3巻および補巻がみすず書房より出版されております。これらの資料が保存されていた仁科記念室が老朽化で近く解体されることになりました。このため、昨年末、資料類は先生の愛用されていた調度品と一緒に理研和光事業所に移管されました。

財団は海外の研究者との交流も支援してきておりますが、2012年度に、アジア地域できわめて優れた成果を収めた若手研究者を顕彰し,わが国の研究者との交流を深めていただくことを目的として、Nishina Asia Award(仁科アジア賞)を創設いたしました。これまでに8名のアジア国籍の方に同賞を差し上げました。受賞された方には、授賞式の前後に2週間ほど日本に滞在していただき、交流の機会を持っていただいております。

さて、昨年は、伊藤公孝理事から、2019年7月18日に急逝された故伊藤早苗教授(元九州大学応用力学研究所教授、理事・副学長)のご遺産の一部をご寄付いただきました。伊藤早苗先生は、1993年に第39回仁科記念賞を「高温プラズマにおける異常輸送とL-H遷移の理論」で、伊藤公孝理事と共同受賞されました。先生は、仁科記念賞創設以来、最初の女性受賞者であります。ご厚志に御礼申し上げますとともに、仁科記念財団を代表して衷心より哀悼の意を表します。

仁科先生は1921年に渡欧され、1928年に帰国されましたが、その大半の期間、コペンハーゲンのニールス・ボーアのもとでご研究をされました。まさに量子力学成立の時期に、その中心地で活躍されたのであります。当初はX線分光の実験的研究をされていましたが、ご帰国直前には、理論研究に転じて,有名なクライン・仁科の公式を発表されました。これは自由電子と光子の散乱断面積を与える公式を導いたものですが、ディラックの空孔理論の成立にも大きな影響を与えたと推測されます。こうした歴史的な研究の進展を目の当たりにされた先生は、ご帰国後、大きな夢を抱いて理化学研究所の仁科研究室を主宰されたものと思われます。仁科記念財団は仁科芳雄先生の理想を受け継ぎ、わが国の基礎科学の進展に貢献することを使命としていると考えます。皆さまのご支援を得つつ、微力を尽くしてまいりたいと思います。

理事長略歴

小林 誠(仁科記念財団第6代理事長:2011―)1967年名古屋大学理学部物理学科卒,専門は素粒子理論。1973年,益川敏英と共に CP 対称性の破れに関する小林·益川理論を提唱した。1979年,益川と共に「基本粒子の模型に関する研究」で仁科記念賞(第24回)を受賞。2008年,「クォークが自然界に少なくとも3世代以上ある事を予言する,CP 対称性の破れの起源の発見」で益川と共にノーベル物理学賞を受賞。2008年文化勲章受章。高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授。(1944―)